開発秘話
ここまでお読みいただいたあなたへ、まずは感謝をお伝えします。
プロテニスプレーヤー・Dr.岩井です!
ここまで良いことばかりを書いてきましたが
ここからは正直なお話をさせていただきます。
是非最後までお読みください。
まずは私自身の過去について暴露します。
~テニスでの挫折とジュニア時代の学び~
私は中学校からテニスを始め、テニス選手としてはスタート時期で出遅れていました。
神奈川県で中学校の試合に出ると、周りは小学生の時からテニスをやっている相手ばかり・・・
特に痛烈な敗北感を感じたのは、慶應湘南藤沢中学との団体戦
相手チームには名門スクールである荏原SSCの選手クラスで日々しのぎを削るスター選手二人と
部活動を真剣に取り組む屈強なメンバーが揃っていました。
私は中学3年生でしたが、1つ下の学年の選手から
「オーレ―」「ドーン」という掛け声とともに放たれるショットは格別で
まるで遊ばれるかのうように左右に振り回され
サービスエース、リターンエース、回り込みストレート
と大人と子供が試合をしているかのうように
圧倒的な差を見せつけられました。
チームは惨敗し、絶望感に打ちひしがれました。
『このままでは、絶対に勝てない』
なにか根本的に変えなければいけないと思い、
当時まだ慣れないインターネットで神奈川県の競合テニススクールを探し
手当たりしだいに体験を申し込みました。
そこで出会ったのはファーイーストJr.テニスアカデミーという場所
ここが私のテニス人生を変えてくれる場所となります。
選手クラスは、小学生~高校生まで皆全国大会に出場するのが当たり前の選手たち
コーチも豪華で、トップクラスの選手をどう輩出するかを知り尽くしていました。
スクール卒業時に初めて聞かされた話なのですが
実は・・・戦績もなく弱小だった私は、セレクションに落ちていたそうです。
コーチが落選を母に伝えたところ
母がコーチにこう伝えてくれたとのことです。
『あの子は絶対に努力するので、試しにもう少しだけ入れてみてもらえませんか』と
当時の私は、とにかく自分より強い選手と打てることがあり難く、楽しく、刺激的で
必死でボールを追いかけ、トレーニングでファイトし、周りの選手たちに追いつけるように
というより正直言うと、迷惑にならないように
がむしゃらに頑張っていました。
それでもテニスが上達するのは大変で、なかなか勝てるようになりませんでした。
スクールでは毎週日曜日にスクール内での試合があり
そこでは高校生の時に小学生にボロ負けすることが常でした・・・。
『勇策はセンスが無い』
『勇策のフォアハンドにはハエが止まりそうだ』
『勇策はテニスじゃない競技のほうが良かったんじゃない?』
そんなことを言われることもありました。
しかし、僕は本当に勝ちたかったんです。
試合も練習もあきらめることなく、コーチの言葉は必死でノートに取り
毎日の練習をビデオカメラで録画して何度も見返しました。
そして何とか、最後の県大会では本戦に出場することができ
高校生の時の戦績は神奈川県
シングルスベスト64、ダブルスベスト32
という結果で幕を閉じました。
この時一緒に練習していた選手たちは、
ジュニア時代輝かしい結果、全日本ジュニアの優勝・準優勝などを糧に
何人も関東学生・インカレに行く選手になり
何人もプロテニスプレーヤーになっていきました。
実はこの時の経験が、
本当に強い選手はどのようにして強くなるのか?
を学べたかけがえのない経験となりました。
一般社会人プレーヤ—に伝えたいことは
トップになる選手はオフコートで勝つべきことをやっている
ということです。
~スポーツDr.への道~
テニスが好きで、強くなりたくて、
テニスのこと以外は全て時間の無駄だと考えていた私は
将来どうしてもテニスに関わる仕事がしたいと思い
スクールのコーチに相談しました。
『テニスコーチかテニスのトレーナーになりたい。』
そう相談する私にコーチは言いました。
「勇策、テニスコーチならいつでもなることができる。
医者になれる可能性があるならそれを目指しなさい。」と
有難いことに、私の父は医師であり、兄も医学部に行っていました。
そこで、母が見つけてきたのが横浜市テニス協会の協会紙に掲載されていた
スポーツDr.の先生が書かれたテニス肘のコラムでした。
『これならテニスに関われる!!』と思った私は
スポーツDr.の先生に会いに行き、お話を伺いました。
そしてその先生に言われた言葉
「とにかく医師になりなさい」
その言葉通りに猛勉強し、医学部へ進みました。
~大学時代~
大学時代、幸いなことに受かった学校が日本大学
この硬式庭球部が伝統ある強豪だったのです。
自分より強い先輩が何人もいらっしゃり
OBの先生方も本当に強かった・・・。
しかし問題点が一つだけあり、それはテニスコートが学校に1面しかないということです。
思い返せば、中学・高校も学校(浅野)には当時テニスコートが1面しかありませんでした。
実は、この不運が!!
まさに私が『テニスをしなくても強くなる方法』
つまり、忙しい社会人でも勝てるようになる方法
を研究するための最高の環境だったのです。
素振り・壁打ち・トレーニング・ケア
今お客様に伝えていることの基礎はここから生まれてきました。
高校時代のコーチからどうすれば勝てるようになるのか?
という方法論を学べていた私は医学部6年間で成長し
関東医科歯科リーグ個人戦2連覇
板橋区民大会単/複優勝
を成し遂げました。
しかし、その過程で分かったことがあります。
それは・・・
区民大会で優勝するためには、
区民大会で優勝・準優勝をしている方との練習会に
呼ばれるようにならなければいけないということです。
区民大会でも優勝と1~2回戦負けには大きな差があります。
そして、優勝候補の方々はすでにその方々だけのコミュニティがあり
その方々だけの練習会があります。
一般の方が1~2回戦負けの状態から
優勝を目指すためには、まずお住まいの市や区の中で
大会優勝候補の方の練習会に呼ばれるようなレベルに到達するまで
自力でレベルアップしなければならない のです。
~研修医時代~
研修医となり当直など激務を行う中・・・
私は果敢にも区民大会・23区大会に挑戦していました。
東京の立川に住んでいた時は、
近くにある一橋大学に侵入し部活生に声をかけて、練習をお願いしました。
埼玉のひばりが丘に住んでいた時は
務めていた東大の学生さんに声をかけて練習をお願いしたり、
知り合いの実業団の練習会に参加させて頂いたりしました。
家の近くのフィットネスクラブに入会するも
平日は帰宅が遅くなったり、疲れ切ってしまっていたり
お風呂にしか行けないこともありました。
それでもなんとか、病院の階段やリハビリ室を使ってトレーニングをしたり
仕事中にEMSをつけてトレーニングをしていたり。
激務の中でプレーを維持向上させるための研究ができたのがこの時期でした。
激務でありながらも、フラフラになりながらなんとか試合会場へたどり着き
大切な方に誘っていただいた区民大会、23区大会、草トー等のダブルスで優勝できました。
だからこそ、忙しい社会人・主婦の皆様がどうしたら強くなれるのか
この答えをどんなテニスコーチよりも持っていると胸を張って言えます。
~リハビリにかける想い~
ちなみに、よく何科なんですか?と聞かれるのですが
テニスの怪我は手術というより動作を改善していくことが予防につながるため
リハビリテーション科に進みました。
ですから私の専門の一つはリハビリテーションなのです。
出身大学である日本大学にはリハビリテーション科の医局が無く
整形外科の先生が兼業でリハビリを診ている環境でした。
ですのでリハビリテーション科が専門の医局として存在し、
かつ、障がい者スポーツの分野でスポーツDr.として活躍されている先生がいらっしゃる
東大のリハビリ科へ入れて頂きました。
東大では医師の先生方はもちろん
リハビリ専門職の先生からリハビリの基本的考え方から、
手技テクニック等を教えて頂きました。
おかげさまで、ほとんど毎日東大病院に泊まり込む日々を過ごしていました。
そしてここでの大きな学びは
リハビリの知識・技術・考え方こそがテニスに革命を起こすための武器になる
ということです。
学んだことを自身の身体で実験すると、
驚くほどに動作やプレーが改善されました。
これはもうテニスの練習量とは全く関係なく強くなるのです。
このリハビリという分野はテニスが強くなるために必須であると感じた私は
休みがあれば治療家・トレーナーのための勉強会に参加しました。
そしてこの頃、その勉強会で出会った志高き治療家・トレーナーでグループを作り
勉強会を主催するようにもなりました。
関連書籍を買いあさり、電子書籍化をしてiPhoneで音読させ
移動中・家事をしながら、あらゆる時間で勉強をしていました。
施術・ストレッチ・トレーニング
学べば学ぶほど自分のテニスが強くなる
これがDr.岩井式施術・ストレッチ・トレーニングメソッドを
学べばテニスが強くなる
と言い切れる理由です。
~テニス普及への想い~
研修医時代に医療・介護の現実を知り
私には大きな疑問が湧きました。
『みんなが本気でテニスしていたら、もっと元気でいられたんじゃない?』
そう思った私は、
ある時期周りの知り合いやFacebookで呼びかけて、使わなくなったラケットをいただき
頂いたラケットに自分でガットを張り・グリップを巻き、テニスの普及活動を行いました。
ラケットは無いけど昔テニスをしていた人や、
健康のためにテニスをしたい人を集めてテニス練習会を開催しました。
この時の参加者の笑顔や一生懸命に動く様子を見て
本気でテニスに取り組む社会人をもっと増やしていき
さらにそこで生まれる怪我をリハビリ・トレーナーの知恵で予防していき
皆様にも学んでいただければ
将来医療・介護の課題解決になると確信しました。
これが、東京予防医学センターでテニス事業を行う理由です。
~トレーナー活動への想い~
研修医1年目から医療・介護の課題に直面し
人が動けなくなることが作る不幸の大きさに驚きました。
そしてまた、医療業界には動けるようにすることへの
知識と熱意が欠如しているようにも感じました。
なにせ、同じ研修医の仲間の中でも、
私ほど患者さんの動きを気にしている人が他に一人もいなかったのです。
『自分の視点は普通の医師とは異なる』
どうやら考え方が医師というよりはトレーナーに近い
ということに気づいた私は、自分の進路を模索しました。
そこで、高校時代・大学時代にお世話になった
トレーナーさん2人にご連絡をして事情を説明しました。
すると、お二人とも
「NSCA-CSCS」の資格を勧めてくださいまいした。
それから私のトレーナーとしての人生が始まりました。
この資格試験の勉強は、私がいままでしたどんな医学の勉強よりも役に立ちました。
『なぜこの情報を医学部で教えてくれないんだ!』
と憤りを感じるほど、トレーナーの知識は現代の医療・介護課題を解決するために
重要極まりない情報の数々でした。
しっかりと科学的にトレーニングをすれば
年齢関係なく、だれだって運動能力を改善できるのです。
トレーナーの資格を取った私は、東大リハビリ科で医師として勤務する傍ら
ジェクサーフィットネスクラブ池袋でパーソナルトレーナーとしての活動を始めました。
そこでは毎時間お客様との真剣勝負。
保険診療など通用しない、医師資格も役に立たない
そんな中でお客様がセッション毎に動きを改善され
笑顔になってく姿を見て、
私の天職は普通の医師ではなく、トレーナーの要素を持った仕事である
ということを確信しました。
東大リハビリ科を退職させていただく旨を教授へお伝えする際、
「医師を辞めてトレーナーになります」と決意を伝えました。
優しい教授は驚いて、心配してくださいました。
私はテニスが強くなりたくて
同じようにテニスが強くなりたいあなたの役に立ちたくて
リハビリ・トレーニング
そして医学を学んできました。
動作を改善し、ショットを改善し
それが同時に怪我の予防につながり
練習や試合へ継続して取り組めることにより成長し・・・
最終的に共に勝利の喜びを分かち合いたい。
そう心から願っているのです。
~産業医・選手活動時代~
医師3年目を迎えた私は、自分の人生に疑問を持ち始めていました。
テニスに関わる仕事がしたいと目指したスポーツDr.の道も
調べれば調べるほど、やればやるほどに
テニスから遠ざかっていくことを感じました。
自分はなんのために生きているのか・・・
様々な出来事があり、病院医師を辞めることになりました。
そして、病院勤務で抱いた医師としての志
「もっとみんなに運動してもらったらみんな元気になる」
世界的な研究の結果によると、
健康寿命を延ばすのに最も有効なスポーツは『テニス』とのことです。
この研究結果を聞いたときはさすがに『ついてる』と思いました。
運命的なご縁があり、株式会社テニスユニバースという
テニスの素晴らしい会社で医師・トレーナーとして
お仕事させていただく機会を頂き、
テニスに関わる仕事をしたいという夢がかないました。
さらに、医師としての資格を生かしながら
世の中の役に立てる仕事はないかと考えた時に
まだ病気になっていない方へアプローチできる産業医の仕事で
会社の中で働きながら健康になる仕組み作りができないかと思い
2017年の秋から株式会社ニトリ専属産業医になりました。
ニトリでお世話になった部長・社長のご理解とご協力をいただき
私がテニスの試合に挑戦したいという夢を叶えていただきました。
こうして、28歳からプロテニスプレーヤーへの挑戦が始まりました。
~成長・ランキングの上昇~
ジュニア時代から大学時代までのコーチ達の教えと
自身で生み出したオフコートで強くなる工夫に加え
リハビリ・トレーニングの医科学的知識をもって
試合に取り組んだところ、
国内のプロがひしめく大会でも
驚くほどに勝利することができ
ランキングは最高で108位まで上がりました。
この間、成功の9ステップやアチーブメント等
目標を達成するための様々なセミナーを受講し
他の人の力を借りることの重要性を学んでいた私は、
治療家・トレーナー・栄養士等に依頼をして
7名のサポートチームを構成していただきました。
その名もチーム岩井です。
錦織圭のサポートチーム以上の
充実したサポート体制で
自身の能力の限界に挑戦しました。
私一人では成し遂げられなかったフィジカルレベルに到達しました。
3時間を超えるフルセットの3セットマッチを1日で2試合
合計6時間以上戦った後に思い切りサーブを打ち
サービスエースで試合を終わらせられるほど
強靭で怪我のないフィジカルを手に入れることができました。
この時に学んだことは
スポーツ医科学の力は想像を超える成長をもたらす
ということです。
自分では想像できなかった世界へ
進むことができます。
中でも、テニスをしていないトレーナーからのアドバイスはとても意義深く
他のスポーツ動作や日常生活動作から研究された
テニス業界ではNGとされている新しい視点からのアドバイスを頂き
自分が大きく変革するきっかけをいただきました。
~勝てなくなり学んだ大切なこと~
全日本選手権を目指す挑戦は
全日本の出場選手枠をかけた戦いです。
日本ランク100位以内がカットラインの目安になるのですが
私はその下で100位の壁を突破できずにいました。
ディフェンス力主体のプレースタイルから
攻撃力を高めていくことはなかなか難しく
リスクを負ってストロークやボレーでミスをしては
守っていれば勝てる選手にも負けてしまうようになります。
そのころ、大変有難いご縁をいただき
全日本でも素晴らしい成果を上げられていたコーチに
お世話になることになります。
そのコーチはとてもネットプレーが上手く
現役時代に一度、大学生時代の私が対戦していたので
その強さを肌で感じていました。
そして、スピン主体でなかなか攻撃的なボールが打てなかった
フォアハンドについて
まずは徹底的にコーチのスイングや感覚を真似してみようと思ったのです。
完全に今までの自分のスイングを否定し
コーチのスイングをコピーしようとしたのです。
ところが・・・
上手くいかないどころか、
球の感覚がなくなり
手首は痛くなり
ショットの切れがなくなり
すぐにミスしてしまうようになりました。
そんな中で果敢にもネットプレーに挑戦し
抜かれに抜かれ続け
1回戦負けが続きました。
その様子がYoutubeに公開されていたので
それを見た大学時代の友人から連絡が入りました。
『今のコーチの教えは、岩井のタイプに合っていないかもしれないよ』
その友人は、タイプによるテニスのスイングの違いを研究しており
大学でコーチなどをしていました。
その友人と電話し、当時の自分の感覚を伝えると
まさにそのタイプの違いによる考察の通りだったのです。
この重大な自らの過ちに気づいた頃
ちょうど世の中にコロナウイルスの感染症が広まり
テニスの大会も中止になるという変化が起きました。
そこで私は一つの決断をしました。
今のまま選手活動を続けていても大きく成長することは難しい
なぜならトップ100の選手たちは
スポンサーからの費用面のサポートがある選手
テニスコーチをしながらスクールに活動を支援してもらっている選手
永遠に練習できて練習環境も充実している大学生
この3種類の方々がメインであり
自分は医師として働きながら、なんとか試合に出ているので精一杯。
ここで1回試合に出るのをやめて
自分の事業を作り、
そこで選手活動費用を生み出すことができれば
他の選手たちと同じようにテニスに専念できる。
少なくともデスクワークの時間を無くし
夏場も冷房が効いている環境で仕事をするのではなく
テニスを増やして暑さに慣れなければ
夏にある大きな大会で成果を出すことができない。
と感じていたのです。
そこで、お世話になったコーチと選手活動を応援してくださっていた皆様に頭を下げ
一度選手活動をストップして
会社を経営するという決断に至ったのです。
また、この決断のもう一つの理由として
2017年の秋頃から2020年秋頃まで
約3年間自分が本当にやりたいテニスをやることができて
そのことに対する感謝の気持ちから
もっと人の役に立つことがしたい。
という想いがふつふつと湧き出していました。
良い事業をして、人の役に立つ仕事をしながら
自分はもう一度選手活動に戻り
次こそはトップ100を切るぞという決意でした。
~会社経営者時代~
全国各地で医師の仕事をしながら
会社の運営資金を稼ぐために文字通り休みなく必死で働きました・・・。
そんな中でも私の心を癒してくれたのは
テニスでした。
各地にテニスコートがあり、そこでテニスを楽しむ人がいました。
時に、テニスコートにお邪魔してお話をすると
「是非練習に混ざっていかないか」というお話をいただき
各地の皆様と楽しくテニスさせていただけたのは
とても良い思い出です。
日本各地にこんなにテニスコートがあり
こんなに楽しそうにテニスをする方がたくさんいるけれど
みんな動作やフォームに課題があり
サポーターをしたり動けなかったり色々と改善できることがたくさんある
ということを痛感しました。
会社の事業としては、2020年11月12日の創業当初から
①テニス事業
②リハビリ事業
③治療家・トレーナー応援事業
という得意分野と感謝への恩返しを含めた3事業を行い
その後、
④ダイエット事業
⑤飲食産業応援事業
⑥医療・介護職応援事業
⑦介護予防事業
⑧コメディYoutuber
⑨旅行系Youtuber
⑩健康系Youtuber
⑪整体事業
等幅広く身近な方に求められる事業を行いました。
しかし、挑戦心と貢献心の強さゆえに
事業範囲が広がってしまい
一つの事業にかけるリソースが分散してしまったために
どれも爆発的な伸びを見せることができませんでした。
しかし、おかげさまで
様々な業界の事情を知ることができたとともに
自分自身や会社のメンバーが本当に何をしていきたいのか?
どのような方と一緒に生きていきたいのか?
が明確になりました。
~一人のお客様が私の人生を変えた~
様々なお悩みに向けてサービスを行う中で、
共通のサービス内容として創業時から継続してきたのが
毎朝6時~6時半にzoomでつながり
エクササイズをするというオンラインサロンの活動でした。
そしてこの活動にだれよりも共感し、実践し、効果を上げてくださった
1人のお客様がいました。
このお客様は素直に私のアドバイスを実践し
人生のあらゆる分野での改善を成し遂げました。
健康面・家庭面・仕事面・そしてテニス
全て改善し、自身が湧いて
今では施術・ストレッチ・トレーニングを学び
私たちと一緒に、Dr.岩井式テニスメソッド1.0を広める側に
立ってくださいました。
このお客様こそ、賀来尚孝認定トレーナーであり
30年以上市民大会の1回戦で負け続けていた
伝説のお客様なのです。
この方が9-7で1回戦を勝利した時。
この人生を変えるテニスサービスを世に広めようと。
毎朝のzoomも一生続けていこうと
私たちの中に決意が定まりました。
私たちのサービスはペルソナ賀来さんへ向けたサービスです。
真面目で・努力家で、でも勝てない。
諦めようか。テニスを辞めてしまおうか。
でも本当は優勝したい。
そういう方に向けてサービス開発を続けてきたのが
私たちチームテニス革命の原点です。
~選手活動への復帰~
選手としての向上のためにも始めることを決意した会社経営でしたが
シナリオ通り上手くはいきませんでした。
理想では1年で軌道に乗せ
コロナ明けで試合に復帰と考えていましたが
私の経営に関する知識不足によって
最初に人への投資を重要視したために
会社は1年間毎月100万円の赤字を生み
その運転資金のために私が医師の仕事を増やし続けるという
ハードな日々を送りました。
そんな日々から私を救ってくれたのは
現在のCEOであり、認定トレーナーとしても活躍している
菊田桃華です。
彼女は、「岩井さんにもう一度テニスをさせてあげたい」と言い
「仕事は私が全部やるからテニスしていていいですよ」と
再挑戦を後押ししてくれました。
そして・・・2023年再び選手活動を再開。
2024年 年始に開催された『かまたくカップ』を復帰の目標に定めて
草トーやJOPにも再参戦しました。
さらに、ITFやUTRプロテニスツアーにも出場の機会をいただき
朝から晩までトレーニング・ケアを行う日々を約半年間続けました。
気付けば自分が目指していた生活をすることができている。
それは朝から晩まで選手として生きる生活でした。
復帰は想像以上に大変なものでした。
大先輩として尊敬する福田勝志プロから
『試合は出続けることが大事』
と言われていたことの意味が痛いほど分かりました。
これまでのテニス人生の中で
ほぼ全ての痛みやケガを経験してきた
と自負していた私ですが、
足底筋膜炎にだけはなったことがなかったのです。
ところが、急に負荷を上げた私を一番苦しめたのは
足底筋膜炎でした。
キネシオテープで脚も腕もぐるぐる巻きにして
全身にザムストのサポーターをつけて
試合に出ました。
以前なら打てたボール
以前なら勝てた相手に苦しみながら
必死で1ポイントを追い求めました。
この経験は、市民大会で勝つことを目指す
一般プレーヤ—の気持ちをさらに深く理解することに
役立っています。
~プロ登録~
プロスポーツ選手になりたい・・・
小学生のころ多くの少年がそう思うと思います。
もしかしたらあなたも思ったことがあるかもしれません。
しかし、多くの方が小学生か、中学生か、高校生か
速い段階で自分の才能に見切りをつけて
もしくは親や周りの人の意見を聞いて
プロスポーツ選手になることを諦めると思います。
私もそうでした。
小学校の時はサッカーをやっていたので
夢はプロサッカー選手でした。
一緒に地域の少年サッカーチームで
普通にサッカーをしていた仲間が
プロサッカー選手になったこともあり
自分もプロテニスプレーヤーになれるかもしれない
という気持ちがありました。
さらに、高校時代のテニススクールで一緒にテニスをした仲間から
何人もプロテニスプレーヤーになって活躍していました。
私も日本ランク100位を切って
世界で戦えるような実力をつけてから
プロ登録をしたい
という気持ちをもっていました。
しかし・・・
そもそもプロスポーツ選手とは何でしょうか?
この答えが人によって違うということに気づいたのです。
本来はプロスポーツ選手は観客の方に夢や感動を伝える仕事だと思うのですが
残念ながらテニスの試合には観客がほとんどいません。
全日本選手権でも観客はごくわずか。
そんな中で私が考えたプロとしての定義は
【テニスを通じてどれだけ人の役に立っているか】
ということです。
そういう意味では、これから私はテニスを通じて
予防医学を普及し、医療・介護問題を解決するという意味で
多くの人の役に立つ。
そして、私自身朝から晩までテニスに時間を費やしている。
108位まで行く過程で100位以内の選手にも勝っている。
これらのことが、私自身プロ登録をするきっかけとなりました。
これから関わるお客様に対しても
プロテニスプレーヤーとしてアドバイスができるよう
引き続きテニス選手としての成長をつづけていきます。
私の人生の目的は、世界一人の役に立つテニスプレーヤーになることです。
~Dr.岩井式タイプ別診断の誕生~
タイプの合わないプロやコーチの動きをそのまま真似しようとしたら大変なことになる・・・。
この私自身の苦い経験を経て生まれたのが
Dr.岩井式タイプ別診断になります。
Dr.岩井独自の切り口からプレーヤーをタイプ分けし
そのタイプに合ったアドバイスをすることで
最終的にその人らしいスイングを完成させていくこと。
これが勝利への近道です。
場合によっては、タイプの異なるアドバイスを聞き続け
身体に強制し続けた結果、自身のタイプが表出しないくらいに
隠されてしまっているケースがあります。
そのため、タイプ別診断を正確に行うには
私でも慎重に時間をかけて一定期間の変化をみながら
行う必要があります。
このタイプを知ることで
あなたはなぜいままでコーチやYoutubeで見聞きしたアドバイスでは
思うように上達できなかったのかが
分かり、はっきりと自分が目指すべき道が見えるようになります。
私はこのタイプ別診断の研究のため
現在左手でもテニスを行っており
インスピの中上級を左手で優勝しました。
あなたも利き手なら、岩井の左手以上に成長できることは
間違いありません。
~Dr.岩井式テニスメソッド1.0の誕生~
タイプ別診断から始まったテニス難民救済への取り組み。
特に回転タイプの方は重心移動タイプのアドバイスを鵜呑みにして
スイングがめちゃくちゃになっているケースが多いのです。
まずは、タイプを知るところから始まり
Dr.岩井が20年間、2万人、2000冊の書籍から学び
1億円を超える自己投資から導出した
スポーツ医学・科学・物理学・心理学・解剖学
全てをテニスのために応用した
唯一無二の勝つためのメソッドが
Dr.岩井式テニスメソッド1.0なのです。
このメソッドにより
いままでセンスが無い、運動神経が無いと言われてきた
どんな方でも必ず自分史上最高のテニスへと
高みを目指すことが可能です。
そしてその正しい努力への時間とお金の投資が
ある一定以上に達した時に
市民・区民大会、草トーでの優勝を
必ずテニスすることができるでしょう。
私たちチームテニス革命は、
あなたが革命を起こすことをあなた以上に
信じ続けます。
~いざテニスのど真ん中へ~
2025年10月 株式会社東京予防医学センターは5期のスタートを迎え
今まで4年間で行ってきた事業領域の中で
人・お金・物・情報
というリソースを全てテニス事業に捧げることを決めました。
そして、テニスのオンラインサービス市場の中で
圧倒的なシェア世界NO.1を目指し
お客様満足度・革命度世界NO.1
共に働くメンバーのやる気・充実度世界NO.1
を目指し出発しました。
そのために
CEOを私から菊田へ交代し
より一般の方目線でより良い会社経営へ変革していきます。
私はテニス革命専門職として
皆様のテニスのために日々研究を続けます。
今この文章をここまで読んでくださったあなたは
運命的に私たちと巡り合ってくださった方です。
まずはあなた自身のテニスに革命を起こし
望む試合で望む勝利を手にしてから
是非一緒に世界のテニス難民を救い
世界を健康にする挑戦へ力をお貸しください。
熱きチャレンジャーをお待ちしています。
UTRプロテニスツアーへの
スポンサー活動

2024年~2025年にかけて、UTRプロテニスツアーのスポンサーを行いました。
UTRプロテニスツアーとは、最新の点数化システムを用いて老若男女問わず同じカテゴリの中でレベルを点数化し
対戦成績をAIが判断して自分のテニスレベルの点数に反映してくれるという素晴らしいシステムを用いたテニスの試合です。
この点数化により、○○大会で何位になるというような「称号」だけではなく、
『自分史上最高のテニス』を目指した成長へフォーカスできるようになります。
私たちは、テニスの普及と怪我予防情報の普及を目的にUTRプロテニスツアーの活動を応援するためスポンサー活動を行いました。
これからもテニスファンが広がることで、世界の健康へ貢献できるよう活動して参ります。
